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左へ曲がる



二つ目の交差点を、左へ歩いた。自宅はもうすぐだ。今日は資料の締め切りが幾つか重なり、残業してしまった。まだ大事な仕事が残っているというのに。

疲れた……。

と言う気力ももう残っておらず、惰性で歩みを進めた。脚は本能的に帰途を覚えている様で、ふわりふわりと私を連れて行く。


まるで空気と一体になっている様な感覚。

私と夜の境界は最早無い。


夏の夜といえば、昔は虫たちの魂の叫びが聞こえていたものだが、今ではすっかり街灯に群がるガが居る程度で、ポツポツという雨音さえくっきり聞こえてくる。ぼーっとしていると、子供の頃によく遊んでいた人達のことが不意に頭に浮かんだ。あの人は、今どうしているのだろう。

そう思った時。奇妙な匂いと、


カサカサ、カサカサ


という音が感じられた。





雨音とは性質の違う音。


意識のピントが急激に合わさる。

後ろへと神経を集中させていると、その音が私の方へ段々と近付いているとわかった。次第に大きく、はっきりとしてくる音像。何かを引きずっている様だ。


きっとこれに出会ってはいけない。

逃げないと……!


他力本願な思考と本能的な行動が、ぴたりと一致する。私は必死でもつれる脚を制御して安全地帯を目指した。すると、家の近くにある交差点の光が段々と大きく見えてきた。

早く、早くここを曲がろう。






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